第三十一回「KYOUKI」

   結局、沙居と裕子が帰ったのは午後六時前だった。
「ばいばーい、裕子お姉ちゃん沙居ちゃん」
 元気一杯に手を振るちひろを背に既に迎えに着ていた道家家の車に沙居と裕子は乗り込んだ。
「今日はよう、遊びはりましたね」後部座席で話しかける沙居に裕子は少し疲れた表情で「はい…」と答えた。六時前だが夏至を過ぎたばかりなので外はまだ明るい。蝉の声も聞こえてきた。裕子はひさしぶりの外出だったのと、径間の奥義技を出した反動で少し熱っぽくなっていた。もちろん裕子にはこうなる事は判っていた。
「でも…お友達ができました」裕子は車窓の流れる景色を眺めながら呟いた。
「それと、沙居さん」「なんですか?」裕子は振り向いて沙居を見た。
「あの、みずきさん…、何だか怒ってらしたようですけど。私と目を会わせてくれませんでした。沙居さん何かなさったんですか?」
 沙居は溜息をする<振り>をして腕組みをした。みずきとの事と、裕子の洞察力の鋭さに敬意を表す二重の意味で。
「ちょっと大人気ない事してしまいましたわぁ。あの子に意地悪しましてん。昔の…ウチの昔の一番の友達の約束を果たしたんですけど、でもまあ、あの子にはまるで関係の無い事ですわな。悪いことしましたわ。あの子はあの子で自分の悩み事を持ってて精いっぱいやのにねぇ」
「沙居さんの悪戯は時々、度が過ぎますよ」そう言って微笑んでから裕子は少し咳き込んだ。心配した運転手の夕霧が後部座席を振り返る。
「夕霧さん、ちゃんと前見て運転してください」沙居は裕子の背中をさすりながら言った。「でも今日は楽しかった…みずきさんには悪いですけど。ちひろちゃんを取られたと思って怒ってらっしゃったのかと思ってたんですよ」「まあそれも、ありますやろな」沙居は裕子の髪を直してあげながら答えた。
「それに…純粋な奥間の者は、みずきさんが最後になりますやろし。寂しいと言えば寂しいですなぁ」

 その時、沙居の最下層に位置する記憶葉がカチリと音を立てた。

 と、すると。
 この数十年の内に決着をつけなければならないのか。
 突然、沙居の記憶葉から、沙居のかつての主だった種名と奥間の少女美夜、そして傍らにもう一人、薄灰色の髪をして目に包帯を巻いている小柄な男の姿が残像として蘇った。

『垂間を封じるには奥間と径間の協力がどうしても必要や。各派一人おったらそれでええ。悪いけど沙居には俺と一緒に残業してもらう。それまで径間を頼むで』

 今まで思い出す事は無かった。おそらく種名の命を受け、沙居が自分でメモリーを封じていたのだ。
 垂間。
 近くにいる。沙居はそう感じた。何故今まで気づかなかったのか。
 いや、気づかれないように忘れていたのだ。 <?
「沙居さん、どうしたんですか?」俯いて考え事をする沙居を見て心配になった裕子が声をかけてきた。「いえ突然、借金の返済期日が近づいてきた気分に襲われまして」「ええっ!沙居さん商工ローンから多額の借金を?」「誰もそんな事言うてませんがな」「ですけど今、返済期日って」
 真顔になった沙居は流し目で裕子を見ると「ま、お金や無いですけど、期日が迫ってきてるのは確かですわ。裕子お嬢さんにも病気、はよ治してもらわんと」
「は?はい」
「ところであの幹人さん、どんな感じでした?」
 沙居はそれとなく質問してみた。
「はあ、幹人様ですか?…面白い方ですね。笑い方がちひろちゃんに似てました」
「笑い方?」
「あの、『わーい』って言うところが」
「『わーい』ですか…」
 にこにこと裕子は笑っている。
「でも兄弟がいるっていいですね。私、同じくらいの歳の男の方と話した事はほとんどなかったんですけど、幹人さんは連さんよりは気軽に話せました」
「あの連って男の子になんかされましたん?」
 本人に自覚は無いが裕子はどこに出しても恥ずかしくないくらいの美少女だ。世間一般で言う悪い虫がつきかねない。それはそれで沙居としては面白いのだが綾二郎の気持ちを知っている手前、注意はしておかなければと沙居は<思った。>
「いえ、何だかやたらに手を繋いできたりしまして、ちょっと強引で疲れました」
「ああ、そやからあの男の子が途中で帰る言うた時、ホッとした顔してたんですね」
「…え、ええ。まあ」
(ま、幹人さんの好感度は悪無いとしても異性として意識するには裕子お嬢さんがまだ幼い…かもしれませんなあ)
 と沙居は結論付けた。
「でも、あの連って子、ウチが昔知ってた誰かに似てたような…」
「沙居さんでも忘れる事がありますの?」
「ウチは高性能ですさかい、どうでもええ思い出は優先順位つけて削除していく事にしてますねん」
「はあ、便利ですね」
 田んぼが続く十字路を通りすぎる所で裕子が運転席まで身を乗り出して突然絶叫した。
「ああーっ、ゆ、夕霧さん止めてください!」
 キキーッと制動音を上げて黒いセンチュリーが停まる。
「何ですのん?裕子お嬢さんいきなり」
「あったんです!見つけました!さっきそにこに捨ててあったんです。昭和四十年後半のオイルショック時に限定制作されたうがい薬の青いケロヨン人形が!」
「…またですか」
 沙居のあきれ声など耳に入らない裕子はドアを開けて脱兎の如く粗大ゴミ置場に放置されていたカエルの形のキャラ人形に走りより、それをぎゅーっと抱き締めて、ぽろぽろと感涙にむせんだ。「ああ、嬉しい。これずっと欲しかったんです。去年、中野の商店街の奥のビルで六十万円で売ってたんですけど、その時はお小遣いが後少しで足らなくて諦めてたんですけど。ほら、沙居さん見てください。ケロヨンさんは普通、緑色でしょう?これは当時緑の塗料が足らなくて暫定的に製造されたモデルなんです〜。し・か・も、このタイプの金型は平成十年代のバブル経済崩壊時に大阪堺の金型屋さんが軒並み倒産してから行方不明になっているんですのよ〜」
 裕子は台座付の重さ二十キロあまりのFRP製のケロヨン人形を片手で鷲掴みにして、まるでサンダルを収集する犬のように沙居と運転手の夕霧に見せびらかした。
「おお、これはお嬢様。ようございましたなぁ」
 夕霧が顔をほころばして一緒に喜んでいる。
「ねえ、沙居さん。さっそくこの子を連れて帰って綺麗にしてあげましょう!ああ、なんて今日はなんてステキな日なのかしらん♪お友達もできて幻の薬局店頭販売促進用造形人形が手に入るなんて。あ☆製造ロット番号も綺麗に残ってるわ。見て見て、沙居さん。こうやってひっくり返すと台座の裏にですねー」
 喜々、と言うよりはほとんど狂気の色を秘めた目をした裕子を見ながら、
「…要するにまた玄関が狭なるワケですな…」
 と沙居は呟いた。
 沙居にとって訳の分からない造形物が所狭しと並べられている道家家の玄関を思い出しながらそう言ったのだが、裕子は沙居のあきれ声など無視して「嬉しいわ嬉しいわ」とひたすらケロヨン人形を涙をぽろぽろとこぼしながら抱き締めていた。
 裕子が赤ん坊の頃からおしめを替えて育てて来た沙居だったがやれやれとした表情をしてため息をついた。径間の人間は多かれ少なかれ性格に偏った所がある。それはその能力が大きい者ほど顕著であるが裕子も例外に漏れなくと言った所か。それでも沙居は腕組みをしながら首を僅かに傾けて心の中で独り言を呟いた。
(ウチ、育て方間違えたんやろかぁ……)


(以下次回)
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