第二十九回「CALPIS」(CALPISはカルピス株式会社の登録商標です)

 


<ここまでのあらすじ>
 人間的品位においても魂の高潔さにおいても世間一般に称せられる男子中学生と
しても並レベルの地方在住少年、生方幹人(14)は六月の末のある日、学校から家
に帰ってくると見知らぬ猫耳女の子がリビングのソファに座っていた。父子家庭だっ
た幹人は父の再婚によって突如二人の妹ができたのだ。しかして新しい母親、新し
い妹達は実は生方家の先祖が昔、人間を遺伝子改良人工交配させて創り出した一族
「奥間」の末裔だったのだ。少しキツめの性格の姉のみずきは新しい兄に対して素直
になれないのか何かと幹人と衝突する。そして次の日、みずきはいなくなった妹の
ちひろを探す最中、近所の不良、米谷に絡まれていた幹人と友人の連義史を見つけて
その米谷をまるでラジオ体操をするようにあっさりと撃退してしまう。一方、ちひろ
は猫屋敷と呼ばれる豪邸の中に入り込み、「径間」と呼ばれる一族の少女、道家裕子
と出会う。週明けの月曜、七月一日。みずきは地元の小学校の5年3組に転校する。
同じクラスの山村丈は普通の子とは少し違う雰囲気をもつみずきに興味を持つ。
 一方、道家家では四百年ぶりに見つかった同じ間の者と接触を持つべく径間派の
自律人形(ひとがた)沙居を中心にして動きだす。時を同じくして幹人達が住む
兵庫県四田市では無気味な殺害方法の連続猟奇殺人事件が頻発していた。そして、
その事件を追うやはり間の者の一族の一つ、「斜間」斜間派はもう一つの間の者、
「垂間」を探していた。
 連義史の妹、連陽子が登場する事でこの物語は動きはじめる。




「いぬのおねーちゃん!」
「ちひろちゃん!」
 激退屈していたちひろは玄関先で裕子を見つけると嬉しくなってピューっと階段を駆け上がってきた。(玄関は三階屋上にある=第十回参照)それから知らない人たち、連と沙居を見てこわくなって幹人の影に隠れた。沙居はちひろの目線にしゃが
んで、にっこりと笑った。
「はじめまして、ウチは沙居って言うねん。それから裕子お姉ちゃんはもう知ってるねんね?」
「うん。さいちゃん?ちーちゃんはちひろっていうの」
「よろしくね、ちーちゃん」
「ほお、この子がちひろちゃん、みずき姉さんの妹にてまた、かわいい子やんか。あ、俺、連って言うねんよろしく〜」
「むらじ…くん?」
「そそ。なるほど生方の妹でもある訳やな。よかったな〜兄貴に全然似とらんと」
「ほっとけ」
「似てなくてよかったね〜ちひろちゃん」
 連が愛想笑いでちひろに笑いかけるとちひろは元気に「うん☆」と答えた。
「……」
 幹人は裕子と沙居と連を家に入れるに当たってちひろが猫耳を隠してるか心配だったが今日はちゃんとバンダナをつけていた。どうやらおしゃれとして気に入ったらしい。そう言えばみずきがまだ来ていない。ま、その内来るだろうと幹人は思った。
「ところで生方、いぬのおねーちゃんってどういう意味なんや?」
 連がヒソヒソ声で幹人に囁いてきた。もちろん囁き声と言えど、裕子と沙居には全部聞こえている。
「さあ、あの子が犬でも飼うてるからとちゃう?金持ちやねんから…ってだいたいなんでお前までここ居んねん!」
「その内伺うって土曜に言うたやんけ。それからお前に貸しとったCDを返しに貰いにやな」
「そんなん明日学校持っていくって」
「まあ、折角来たったし暑い事やからカルピスでも出せ。生方ンとこの冷蔵庫いつも置いてるやんけ、生方パパが好きやから言うて」
「カルピス?」
 ちひろの目が輝いた。生方家の冷蔵庫には繁の嗜好で夏の期間はビールよりもカルピスの方がその割合に於て抜きんでている。当然その娘であるちひろが嫌いな筈が無かった。生方家は幹人を含めて全員甘党なのだった。
「さあ、みんな遠慮せんと上がってやー」
 やれやれと言った表情で連は勝手知ったる感じで戸棚からスリッパを出して人数分並べ始めた。
「なんでお前が言うねん」
「お、先々週来たときより当社比で五百倍くらい片づいてるやんけ。さすが女の人が掃除すると違うんやなあ。ニューママはどこ?店の方?岬さんと一緒?」
 無視してキョロキョロする連を他所に幹人は連はともかくとしてこの二人の女の子を家に上げたのは迂濶だったかなあと、後悔し始めていた。女三人に目をやると既に沙居はちひろと打ち解けて仲よくなっていた。

「沙居さん、おじいさまは?」
「一応、ここのご主人と挨拶は終えられましたので一老様にご報告するために先に戻られましたワ。後は後日改めてご招待するかこちらに出向くかお決めになるそうです」
「まあ、一老様に?」
 一老とは径間派の長老格の女性を差す格付けの敬称で当主よりも更に上に位置する道家径間派百七十人を統べる象徴的存在だ。
「それでウチは後から来る裕子お嬢さんをお迎えするために残った次第です。しかし。お嬢さんもしょう無いお人ですなあ。お館様に外出まかりならんとお言いつけになられてはった筈ですよ」
「ごめんなさい…」
 やっぱり悟られていたのだ。育ちがいいせいか罪悪感も大きいので裕子は家に帰ると罰を受けるのだろうと観念した。
「でもまあ、手加減してくれたとは言え、朝霧さんを出し抜いたのはご立派でしたね。祝着です」
「そ、そうですか?私、ちゃんとお稽古していましたから」
 裕子がパッと明るい表情に変わると間髪いれず沙居はしれっとした表情をして釘をさすように言った。
「でも。結果的にお言いつけを破られたんは確かですからね。一老様にもご報告しときますので、万一お叱りをお受けにならはっても沙居は預かり知りませんからね」
「わかりました…」
 沙居に叱られてしゅんとなった裕子を見てちひろは不思議に思った。沙居ちゃんの方が裕子おねえちゃんより年下みたいなのに裕子おねえちゃんが怒られているからだ。沙居はどう見ても八歳ないし十歳くらいで、裕子はそれより四つか二つくらいは上に見えたからだ。ただし、これはあくまでもちひろの視点であって実際の所は他の人間の歳などちひろには分からない。思い切ってちひろはた訊ねてみた。
「さいちゃんの方がお姉ちゃんなの?」
 その時、連の携帯電話の着信音がダースベーダーのテーマに合わせて鳴った。
 同時にちひろと裕子がビクッと身体を震わせる。猫(奥間)と犬(径間)は音に敏感なのだった。
「誰からや。真由美かな?恵子かな?いやーもてる男は辛いねえ…って番号非通知やな…。はい、連です〜。…え?なんや叔父さんかいな。こらまたご無沙汰してます。なんで僕の番号知ってたんですか?…仕事柄?ああなるほど。…母親は元気
っすよ。相変わらず口うるさいけど。……陽子?…元気なんとちゃう?知らんけど。え?今すぐ?はい、まあ分かりました。行きますわ」
 プッとスイッチを切ると連は立ち上がった。
「悪いけど生方、俺ヤボ用。東京から叔父さん来てるみたいやねん」
「叔父さんて内務省の役人の?」
「そや、内務省特別高等捜査局」
 得意げに語る連のその言葉にさりげなく沙居が振り向いた。
「なんか凄い名前やなあ」
「では俺はこれで失礼します。お嬢さん方、またお会いしませう」
 連が裕子と沙居に挨拶してから幹人の足を軽く蹴ると「うまい事やれよ」と言って、玄関に上がって行った。幹人がぼんやりと階段を見上げていると誰かがズボンの裾をくいくいと引っ張って来た。
「…?」
「カルピス、まだ?」
 と、ちひろが催促していた。
「………」

「おかーさん!」
 店の中に入って来たみずきは母親を呼んだ。
「あら、みずき帰ったの。学校はどうだった?」
 モップで掃除をしていた友美さんが顔を上げた。
「…う、うん。それよりたいへんだよ!何だか変な女の子が家に!凄く強くて私の技も跳ね返すくらいの」
「ああ、沙居さんに会ったのね。お母さんも驚いたわよ。まさかあの子がお婆さんに聞かされてた子だったなんて」
「おかーさん知ってんの?」
「さっきここに径間の男の人と挨拶に来たのよ。それで今は家にいらっしゃるの?」
「径間…?ってまさか、じゃあもう一人の女の子って径間の子なのかな」
「もう一人の径間の女の子…。来てるの?じゃあ幹人さんが入れてあげたのね。そうでないと今、結界を張ってあったから入られないはずだから。みずき、お客さんに失礼の無いようにね。幹人さんがついてるなら大丈夫だろうけど」
「沙居って…おばーさんが昔言ってた戦童(いくさわらし)のあの沙居なの?」
 みずきは祖母が生前語ってくれた永久(とこしえ)に少女の容貌を持つ人では無い唯一の間の者の話を思い出した。常に間の者達に着き従い、冷徹にして情厚く、その力は数十人、数百人の兵を一瞬にして薙ぎ倒す万能自律人形(ひとがた)。
 みずきはこの話を歴史ヒーロー物みたいなおとぎ話と取っていたがまさか現実に存在して隣の母屋に来ているとは到底信じられなかった。しかし今しがた、あの人間離れした、いや、ひょっとすると間の者よりも高度な戦闘能力を持っているかもしれない沙居を目の当たりにしたのだ。
「繁さんもびっくりしてらしたわ。お母さんもだけど。歴史的対面だって、今度はこっちから、伺おうかって」
「うかがうって、大丈夫なのその人達?もしわるい人達だったら」
「それは無いわ。だって間の者は唯間、上主に嘘はつけないもの」
「そ、そーなの?」
(ってー事は私もおにーさんには嘘はつけないって事?)
「それよりも、みずき、沙居さんと…やりやったの?」
「だ、だって向こうの方から…」
「ふう、さっき言ってた『試させて下さい』ってそういう事だったのね。沙居さんはお母さんも始めて会ったんだけど、人間じゃないけど間(アイ)としての格はとても 高いのよ。あまり失礼の無い様にね」
「に、人間よりも偉いの?」
「それは千年も生きてればねえ。仏像みたいなものかしら。はっきり言って国宝級なのかしら?でも普通の人には知られるわけにもいかないから勿体ないと言えば勿体ないわねえ。いや、国宝と言うよりも世界遺産かしら…?歩く世界遺産。うーん」
 目を瞑って両の人指し指をこめかみに当てて悩んでいる友美さんに呆れてみずきは母屋に取って返した。
(おかーさんはああ言ったけど何か信じられないよう。ちひろ大丈夫かな?
おにーさんは頼りになりそうもないし、いざとなったらあたしがあの子達からちひろを守らなきゃ、あの沙居って子がちひろに私がされた様な事と同じ事しようと考えてるとしたら急いで戻んないと!)
「ちひろーっ!」
 みずきがリビングのドアを勢い良く開けた。しかしてそこで繰り広げられていた光景とは!

「あ、おねーちゃん」
 ちひろが楽しそうに振り返った。
 カーペットの上で幹人と裕子と沙居はカルピスを飲みながら、ちひろが遊んでいる積み木を囲んでいた。連は帰ったみたいだった。
「まあ、ちひろちゃん、お上手〜」
 裕子は正座してパチパチと拍手をしている。

 みずきは硬直して立ち尽くしている。

がーん。上と下と左と右が切れた。「そしたら、ちーちゃん。次はこうしたらどう?」
 沙居は三角の積み木をちひろに手渡した。
「こうかな?さいちゃん」
「そうそう。ちーちゃん上手やねえ」
「えへへへ」

 みずきは硬直して立ち尽くしている。

「幹人様、このカルピスとても美味しいですわ」
「うん、おいちい」
「いや〜、この濃度が一番美味しいんすよ。濃すぎず薄すぎずと」
 
 みずきは硬直して立ち尽くしている。

「次は裕子おねえちゃんやってみて」
「わ、私?積み木なんかするの何年ぶりかしら?」
「今度はお城なんかどうでしょう裕子さん。あ、僕、小さい頃に遊んだレゴブロックまだ置いてるから持ってきますわ」
「わあいこんどはブロックだ♪」

 みずきは硬直して立ち尽くしている。

「まあ、たくさんブロックがあるんですねえ。ええとこうかしら」
「あ、上手ッスよ裕子さん」
「裕子おねえちゃんうまい」
「ウチもやらしてもらいましょ」
「ちーちゃんもつくる」
「カルピスおかわり、いかがっすか?」

 みずきは……やはり硬直して立ち尽くしていた。


       な、なんかっ、すっかりなかよしになってるじゃん!


(ちゅぢゅく)