第二十六回「SHAMA」

  「佐伯部長。ここですね」
 兵庫県警のロープが張られているマンションの前に一台の車が止まり、男が二人降り立った。
「ああ、ちょっと。ここは関係者以外立入禁止なんすよ」
 二人がロープをくぐるのを見てがっしりとした体の若い警官が走ってきた。
「すみません。関係者にこれからなります」
 二人の男の内、若い方の男が普通の警察手帳とは若干色が違う身分証を出す。
「本庁の…?」
 警官は少し訝しげに手帳を眺めた。
「いや、もっと上の方」
「上?」
 その手帳には「内務省特別高等捜査局」と刷られていた。
 内務省はつい最近の北方の領土紛争の際にどさくさに紛れて成立した曰く付の省庁だ。その成立には様々な憶測が飛んでいるが非常時だったために暗黙の状態で現在に至っている。
「大丈夫。県警本部長と本庁の参事官には話は通してあるから」
 そう言って警官が無線で問い合わせをしている最中に二人は強引に中に入った。
「なんかFBIみたいですね」
「しかもX-ファイルの方だな」
 二人が開いているドアの中に入ると既に鑑識が写真を撮っていた。
「同じですね」
「そうだな。詳細は?」
「死亡推定時刻は七月一日の午前二時過ぎ。被害者はこの部屋の住人の男性と思われます。尾関倫彦、二十七歳フリープログラマー。もう一人は着衣から見て若い女性の様ですが年齢不明、姓名不明。死因…何かに圧し潰されたような圧死ですね」
 パソコンが置かれた部屋には血塗れになったカーペットの上にドッジボール大の球状の肉隗が二つ転がっている。初夏の熱気で既に腐敗が始まっていた。
「この尾関ですがインターネット上で違法薬品販売や無許可のCDロムを販売していて、県警が内定をしていた模様です。死体が『ボール』で残るのは珍しいですね。六件目ですけど」
「中川、これで全部で何件目だと思う?」
「そうですね。たいていは痕跡だけですから。行方不明者もいますからね。一慨な数は…」
 四田市の連続猟奇殺人事件は四年前に発生して今だに未解決事件になっており、
起きる度にマスコミを騒がしたが被害者がいずれも犯罪者か、それに不随する者ばかりだったのでいつしか世間は正義の死刑執行人と呼んでいた。
「人体を均等な圧力で球状にするというのは可能なんですかね?」
「特別な装置を使えばできなくもないさ。ただし、そういう施設に運びこまなければならないがな。ポータブルかもしれないが」
 だが、間違いなく犯行はこの場所で行われた。近くのコンビニの店員が死亡時刻の三十分前に被害者を目撃している。今となっては状況証拠が無ければ誰だったのか判別不能な二つ肉の残骸を見て佐伯は暗い予感を感じた。
 現場責任者と思われるスーツを着た刑事が二人に近づいてきた。
「特高の人が何の用事なんですか?」
 明らかに迷惑そうな顔だった。それに特高と言う言い方も戦前の特高警察を想起させるような新聞雑誌が使う嫌味な言い方だ。
「いやね、四年前の政府関係の研究施設の爆破テロと何となく手口が似てるんですよ。それで上から派遣されてきましてね。ま、他意は無いのでご安心を」
「テロとは穏やかや無いですなあ」
 そら公安の仕事やで、と現場責任者の警部補は内心舌打ちした。
「すみません。それでは失礼します」
 二人は現場を出た。佐伯は部下の中川に圧力装置関係の施設を洗うようにと指示して別れた。
 が、佐伯には分かっていた。これは機械による殺害もしくは加工では無く、ある種の人間の特殊能力が原因だと。間違いなく間の者の仕業だ。それも非常に禍禍しい類のものだと。それにこの街には確かにその種の人間達がいるのも感じられる。
 佐伯は携帯電話を取り出し、盗聴防止チップを取り付けると通話を開始する。
 着信音がしばらくして相手が出る。
「(隆広か?)」
「はい」
 電話口からは男の子の様なカン高い老人の様な、そんな声が聞こえてきた。
「(どやった?)」
あーうー。「やっぱり、間(アイ)の仕業ですね。重力痕を感じました。斜間派の重力痕ではありませんでした」
「(おまえの姉貴、冴子の家がそこにあったな)」
「ご承知の通り姉は一般人ですよ。覚醒はしていません」
「(でも子供はおるな。それと旦那さんは死んでたな)」
「甥と姪が一人ずつ。母子家庭ですよ」
「(調べたか?)」
「まだです」
「(ええか、垂間派の血は全ての間の者の中に潜ってるんや。ゆめゆめ忘れんようにな。もう覚醒してる。はよ潰さんとえらい事になるからな)」
「承知しております」
「(前にも言うた通り、垂間を封じるには奥間と径間の協力がどうしても必要や。各派一人おったらそれでええ。径間は分かってる。道家家はずっと俺が見張ってたからな。後は…)」
「唯間ですか。それは見つけました。甥の友達の家がそうです」
「(そうか!祝着やね。それにしても種名様は上手い事段取りしたな。後は奥間だけか。たぶん唯間様が見つかったら奥間も一緒におるはずや。種名様はいつも奥間の娘を側女として連れとったからな。沙居が妬いてたんを俺は知ってる)」
「種名様は予見されてらしたのでしょう?」
「(いや、自分で始末するのがめんどくさかっただけやな。先送りにしただけや。おかげで俺は残業や。手当ても出えへんやんけ)」
「給料は前払いだったのでしょう?」
「(そんなもん四百年前に使い切ったわ)」
「では文句を言っても仕方がありませんね」
「…これから俺もそっちに向かう。久しぶりに沙居にも会いたいしな。鎌倉はもう飽きた。京にも行って舞子さんとも遊びたい)」
「道家家に?向こうは知らないでしょう」
「沙居にも道家らには悪い事したけどな。犬(径間)の安全のためやからしゃあない。犬(径間)は沙居がちゃんと躾けてるやろう。それにあの種名様の子孫がどないなってるか見るのも面白いしなあ。これだけは俺と沙居しか味わえん楽しみやからな」

 電話口がしばらく無言になった。

「(…おまえ、甥と姪のどっちかが垂間の者やったらどうする?)」
「始末します」
「(言葉は潔いが俺もそこまで残酷やない。その時は俺が殺す。おまえと冴子は俺
を恨めばええ。ええなっ?)」
「わかりましたナムルスタック様」
「ほんならな」
 そして通話が切れた。
 代々斜間の者を受け継ぐ者として佐伯隆広(さえきたかひろ)は師匠であるナムルスタックに嘘を言った。

>「(調べたか?)」<
>「まだです」<

 時の政府関係や軍関係、医療団体、有力宗教団体、財閥に深く入り込んでいる総員約二百名の斜間派一党が血眼をあげて探している垂間の者は隆広の姪の連陽子だ。
隆広は確信していた。現場に残された重力痕と斜間派が呼ぶ間の者が思念で重力を発生させる【創重力】の「残像」は間違いなく隆広が陽子が五歳の時に抱き上げたあの時と同じ匂いだったからだ。あれから六年が経つ。その間に何があったのか。 隆広は知る由も無い。
 隆広は嘘はすぐ露見すると判って、あえて師匠に「まだです」と言った。やはり自分の姪を殺すのは忍びなかったからだ。導師ナムルスタックは快く了承してくれた。あの方はいったい何歳になるのだろう?隆広はナムルスタックの年齢を考えた。数百歳か数千歳か。
 まるで仙人か妖怪だなと隆広は苦笑した。
 とりあえず、唯間のその子孫という子に会ってみようか。隆広はそう思い、久しぶりに甥の義史に連絡をとる事にした。

 災悪をももたらす凶狂の間の者、垂間。
 それは回を追うごとに明らかになるであろう。

(以下次回)