第二十五回「MIKIRI」

   手を伸ばせ。楽園はそこにある!
 さあ、ギュッと。少女の躰はとてもやーらかいに違いない!
 イタくしなからね〜やさしくするからね〜。
「よう、生方やんけ。どないしたん?」
(ゲ、連)
 幹人が裕子を抱き締めようとする正にその寸前に後方から片手で鞄を背中に預けながら連義史が鼻歌を唄いながらやってきた。
「この娘、誰?」
 連は幹人を押しのけて裕子の顔を覗き込んだ。
「うわー、目茶苦茶カワイイやん!誰?誰?」
(チッ、余計なところで)
 正気に戻った幹人は心の中で舌打ちした。
「はっ、はい。道家裕子と申します。道すがらこの方が倒れておられたので…」
「ああ。なるほど。こいつ(生方)は道で寝るんが趣味なんすよ」
「なんでやねん」
「ちなみに俺、連って言います」
 それから連は小声で「おい、道家って言うたらあの猫屋敷の住人やで」と、幹人に囁いて来た。
 そうなのか。ではこの娘が噂の…。
「…ええと何か話があるとか言うてましたが」
「えと、その、そう!生方漢方薬局に行きたいんですけど、どちらに行けば宜しいのでしょうか?」
「ああ、それやったらウチの家がそうやけど」
「わかった。では、そこすぐ近くですからご案内しましょう!」
 連は早速裕子の手を握り、先を歩き始めた。
「あ、連、ずっこいぞー」
 俺が最初に会うたのに。
 幹人は渋々後を追った。連の出現を苦々しく思ったと同時に安堵もしていた。
(あー、ヤバかった)

 生方漢方薬局の店内に綾二郎と沙居が着いた頃、ちょうど腰痛の湿布薬と飲み薬を買い終えた老婦人が出て行くところだった。
「はい、いらっしゃい」
 生方繁が商業スマイルで二人を出迎えた。
「何かお求めですか?おい岬、お茶だして」
 そう言いながら繁は二人に椅子をすすめた。外に駐車している車が運転手つきの黒塗りの高級車だったので少し扱いを丁寧にと思惑が働いたからだ。漢方は長期療養が基本なので一度、客がつくと恒常的利益が生まれるという長所がある。
「孫がね…ちょっと病弱でしてね」
「ほう、お孫さんが?」
 繁は問診をするためにその孫であろう日本人形の様な姿の沙居を見た。
「いや、この子やなくてね、もう一人の方やねんけど…」
 白衣を着た岬が盆にのせてお茶を持ってきた。繁は妹の岬を見た。岬が目線で入口の方に合図をした。入口には友美さんがいつの間にか立っている。繁は気づかれないように深呼吸をすると手元のスイッチを押して店頭の自動ドアの電源を切った。
 沙居は繁をじっと眺めた。この歳頃の女の子は無遠慮にじっと見つめてもあまり相手に警戒されないので沙居は観察する時にいつもこの方法をとっている。それから沙居は入口に立っている友美さんを見た。なるほどあの女性があの子たちの母親かと、沙居は<思った>。そして場の空気が緊迫している事も同時に感じた。入口に立つ、あの奥間の女が何かの「匂い」を嗅ぎつけて二人に合図したのだ。
「お館様」
 沙居はいつもの、やや舌足らずの子供の声で綾二郎に声をかけた。一瞬で相手に正体を気づかれてしまったのだ。径間の者にとってそうそうあることではない。もしもの場合は逃げきる事はできる。だがそれは相手の手の内を拝見してからでも遅くはない筈だ。
「もうバれてますワ。この後に及んで野暮ったい演技はやめときましょ」
 気配を消しても匂いを完全に消し去ることは出来ない。間の者の匂いは間の者には分かってしまうのだから。
 一方、綾二郎の方は繁と傍らの岬の気配が今だに掴めなかった。目の前に立っているにも関わらずだ。こんな事は今まで始めての体験だった。そして何か、全てを見透かされているような、そんな気もした。
 沙居が続いて喋ろうとした。だが次に口を開いたのは繁の方だった。
「話は聞いております。先日はウチの娘がえらいお世話になったみたいで、どうもすんませんでした」
「単刀直入に申しましょう、生方さん。この前はちひろちゃんを会うて正直、驚きました。まさか、今だに唯間派と奥間派が今生にお残りになってるとは思うてませんでしたからね」
 綾二郎が奥間の言葉を口にしたと同時に友美さんは即座に頭のスカーフを外して猫耳を露にし、繁は座ったまま引出しの、岬はポケットの拳銃を手にした。拳銃は繁のそ筋の友人から手に入れた物だ。
 店内は間の者にしか分からない殺気が漲った。
(不味いですなぁ)
 沙居は頭部の集積演算葉で瞬時に状況行動演算を開始した。相手は唯間が二人、手練れの奥間が一人、おそらく殺人の経験が何回かあると見た。外には道家家の運転手を務めている朝霧の双子の弟の夕霧がいるが、既に結界を張られているだろうから戦力にはならない。裕子の到着はもう少し遅いだろうし、沙居はあまり裕子を戦わせたく無かった。綾二郎が径間自己召喚奥義、『依留(ヨル)』を使っても、奥間にはその打ち消し技、『非留(ヒル)』が存在する事を沙居は過去の経験から知っている。全ての径間の技に通じる沙居自身が奥間の者を抑える事はできても唯間の人間に「やめろ」と言われると自動的に強制停止するのだ。そのように沙居は創られている。それに奥間の空中跳躍加速術『段』の速度はおそらくこの世界の生物の中で最速だろう。径間の数倍の速度であり、沙居にもそれを捕捉する自信は無い。結果的に間の者は唯間に逆らう事はできないのだ。逆に言うと唯間を味方につけた間の者は全ての間の者を抑えることができる。つまり今の状況で言うと、傍らに立っているちひろの母親がその立場にある。この数分の内での沙居の「見切り」では、目の前の男が唯間の現当主であり、白衣を着て眼鏡をかけた小柄の女がその妹、そして奥間の女がちひろの母親、当主の奥方である。
(唯間様の奥間好きは相変わらずみたいですなあ)
 四百年ぶりに見る唯間の者に対して沙居は若干の複雑な感情が沸き起こるのを覚えた。
 無論、最初から沙居達に戦う意思はない。沙居は綾二郎を見上げた。
「お館様、ウチらの負けみたいですワ」
「…沙居、おまえ最初から分かっとったやろ?」
 綾二郎はあきれ顔で沙居を見ると繁に再び顔を向けた。
「ま、ご主人、穏便に。その右手の危ないモンから手ぇ離してください。そこのご婦人も」
 綾二郎は自分の一族の他に同等の能力を持つ人間を見て少なからず愉快になった。
 沙居と綾二郎は椅子から立ち上がり、膝をついた。
「上主様にはお初にお目もじいたします。私は径間派重力使い司道家家二十七代目当主、道家綾二郎と申します。これに控えますは道家家筆頭執事にして上主様から拝借いたしております人形(ひとがた)の沙居にございます」
「沙居にございます。お初に」
 しばらく無表情だった繁が十秒ほど過ぎてから間の抜けた顔で聞き返した。

「……………マジ?」

(以下次回)