第二十三回「KYOUKOUTOPPA」

   裕子は祖父と沙居が外出したのを確認して着替え始めた。どうしてもちひろの家に行ってみたくなったからだ。
 ドレッサーを開けてどの服を着ていくか悩んでいる間に雨が止み始めた。
 外を見てきゃーっと跳びあがった裕子は、これぞ正に絶好の好機、天の采配ねと、再び数十着ある洋服を選び始めた。
 フリルのついたピンクハウスの服も着てみたかったが、ここは忍んで出ていく手前、出来るだけ目立たない白いワンピースと帽子という無難な線で手を打つことにした。姿見の鏡であらゆる角度から確認した後、「よしっ」と気合いを入れてから、グリーンのパステルカラーのポシェットを肩に下げて慎重に自分の部屋の扉を開けた。
お嬢3度。これ以上小さくできないじゃん(;;)「どこにいらっしゃるのですか?」
 後ろから執事の朝霧の声がした。さっそくバレてしまった。
「あ、あの…」
「ご用なら怜子か霞に言えばよろしいでしょう。さ、お部屋にお戻り下さい」
「朝霧さん、ちょっとだけなら駄目でしょうか?」
「いけません」
「そうですか…ではいたしかたありませんね」
 裕子は俯いた後、がばっと顔を上げた。頭には白い立ち上がった径間の犬の耳と腰からは同じく白い尻尾が垂れ下がっていた。
「では、強行突破させていただきます!」
「お、お嬢様」
「下がりなさい!朝霧」
 いつものおとなしい表情とは違う瞳孔が散大した目で径間戦闘立屈位と呼ばれる構えを取る裕子に朝霧は本気だと感じた。
「…よろしいでしょう。僭越ながらお相手いたします」
 勝負は一瞬でつく事は分かっていた。径間の戦いは居合い抜きの抜刀術と同じく、一撃の間合いで全てが決するからだ。朝霧も径間の爪をあげ押さえ込む事にした。
が、朝霧が守りの戦法をとった事で勝負が決まってしまった。
 裕子の踏み込みは激烈を極め、強化処理を施してある鉄誂えの床が陥没し、数瞬の内にその速度は亜音速の域に達した。
 速い。
 朝霧は去年、裕子の径間の技の稽古相手を務めた事があるが、格段の変わりようだった。裕子の周囲には気流が発生してその奥には確実に相手を倒しきる確信に満ちた瞳が燦然と輝いている。
 だが、まだこの程度の速度なら見切ることができる。朝霧は裕子の左腕を掴もうとした。しかしその時、朝霧の背後に気配が生じた。裕子は後ろからも突進して来ていた。
 分身か?
 だが違っていた。径間の分身の技では無い。背中の神経からは前方の裕子と同じく確かな質量が伝わって来ていた。決して虚像では無い。そこで朝霧はようやく理解できた。裕子は平行世界に存在しているであろう「自分自身」を召喚したのだ。
 この技は道家家でも本家筋にしか相伝されない依留(ヨル)という奥義だ。
 依留は夜とも言う。間の者が本来戻るべき場所とされる異界を意味する言葉だ。
(―お館様は既にこんな技まで伝えていたのか)
 朝霧と言えども屋内の廊下の中央で挟撃されては勝つ見込みは無かった。
 朝霧は精神で特殊な図形を頭に描き、周囲に【創重力】を発生させ、空間断層を形成し、防戦に回った。裕子が手刀で放った衝撃波が空間断層と衝突し、プラズマが発生する。
 裕子Aは身体を屈めて跳躍すると両脚で天井を蹴って朝霧をすり抜け、その間に裕子Bが衝撃波第二波を放っていた。
 すりぬける間際、裕子Aは「ごめんなざい…」と径間でのみ伝わる高速言語で朝霧に呟いた。その瞬間、裕子Bは召喚を解かれ消滅した。この間は○.二秒の出来事だった。
「参りましたよ、お嬢様…」
 朝霧はプラズマによって吸い寄せられた埃を払いながら裕子が走り去って行った廊下の角を見ながら苦笑した。それから手筈通り、綾二郎と沙居に思念波を送った。
(お館様、やはり無理でした…)
 その間も裕子は朝霧の娘である十九歳になる裕子の「ねえや」を務めている道家怜子の頭上を飛び越していた。
「裕子様っ」
 だがもはや裕子は窓を抜け出し塀の上空にいた。


「あのね、私のクラスね、みんなあだ名で呼び合ってるんだよ」
「みんなか?」
「うん」
「そしたら、みずきもその内、あだ名つけられる訳やな」
「お兄ーさんはあだ名あったの?」
「俺?」
「うん、小学校の時」
「俺は…『みっきー』(強調)やったな」
「それって『みきひと』だから?」
「まあ、安直(強調)やけどそんなもんやって。刑事ドラマのニックネームみたいなもんや」
「私、太陽にほえろのヤマさんが好きだった。再放送でやってた」
「えらい渋い趣味やな」
 あー、ええ感じええ感じ。
 このなにげもない会話が幹人にはなかなか心地好かった。幹人とみずきは二人して一つの傘で帰っている途中だ。幹人は年下といえ、女の子とこうして歩く事など初めての事だったので少し緊張した。
にゅ。リンクしたですぅ>みっきー「まあ。早めに仲間と言うか友達を見つける事かなあ。それにしても、その傘壊したんが誰なんかやなあ」
「それはすぐ分かったよ」
「どんな奴や?」
「大原さんって女の子だよ。傘についてた匂いで分かった」
「女の子。匂いで?」
「うん、大原さんの匂いだった」
(そうか奥間は嗅覚も発達してるんか)
「でもそれでは…」
「うん、証拠にならないよね。ホシ(犯人)を上げるには遺留品と容疑者のアリバイを特定する事から…って、私、遺留品捨てちゃったあ」
「そらまあ、証拠にはならんな。この人の匂いでした言うても普通の人は信じへんわなあ」
「ちょっと意外だったな…。優しそうな子だったのに。私てっきりもう一人の堂脇さんって子の方だと思ったのに…」
「…つまり、実行犯と主犯格は別やっちゅう事やな」
「それってどういう事?」
「黒幕は自ら手は汚さへんって事や」
「すごい。それってヤマさんが言ってた事と同じだ!」
 この子の価値基準はみんなテレビドラマかい?と、幹人はなんとなく脱力するものを感じたが、みずきは初めて幹人を尊敬する眼差しで見つめた。
「私、どうしたらいいのかなっ?」
 すがる様な目でみずきは幹人を見た。雨がやみ始めていた。
(あーあ、もうやんだのか。残念)
 幹人は傘をたたみながら言った。
「明日の朝、注意しとくんやな。その堂脇って子がやり手やったら明日の朝の時点でクラスの全部、または過半数にみずきの悪い噂を流してるやろなあ」
(連がいじめられた時がそうやったからなあ)
 幹人は連義史が転校して来た時のことを思い出してそう言った。四年前、連が転校して来た時もしばらく誰とも馴染まなかった。最初に何となくだが話しかけたのは幹人だった。その時の連はいつも何かを呪っている様な目つきだった。
「とにかく、誰か、まず一人でええから味方を作る事やな。それか、証拠を掴んでその堂脇って子をシめるか」
 シめる事、暴力に訴える事と言うあまりよくない意味だが、みずきなら軽くできる筈だと幹人は思った。
「シめたりなんかしたら、逆に怖がられるよ…」
「そいつの明日の出方次第やな。ま、傘の事は明日まで忘れとけ。ご飯が不味くなるからな。女の子用ってのは無いけど、店用のビニール傘やったらようさん余ってるから、しばらく大丈夫やって」
「う、うん…。…ありがとう!」
 みずきは心の底から幹人に感謝した。新しいお兄ーさんがほんとに優しい人でよかった。感激して涙が出そうになった。学校でイヤな事はあったけれど、幹人の励ましで、なんだか乗り越えられるような、そんな気がした。
(……ん?)
 そこまで思ってみずきは何かがひっかかった。

(「…『禁断の序章』のお兄さんって最初は優しく接して来てたやんか」)

 昼休み中の大膳直美こと、ナオの言葉が頭を過った。
(ま、まさかドラマの『禁断の序章』の人みたいに最初は私に優しくしておいて、ホントは私にエッチな事を…)
 その瞬間、みずきはガタガタと震えだした。みずきにとっての価値観は幹人が推察した通り、今までテレビドラマが全てだったのだ。
「どないしたん?震えてるで」
 幹人がみずきの肩に触るとみずきの髪の毛が総毛立った。

「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 …そして恐慌突破(泣)
       ^^                             
(つづく!)