「あの、ところで…」
「何?生方さん」
みずきは五時間目が始まる直前、隣の席のナオこと大膳直美に質問した。
ナオの声は不必要にでかかった。
「私の後ろの席って今日、休みみたいだけど、どんな子なの?」
ナオはみずきの後ろの席を見て、
「ああ。そこはレンちゃんの席。連陽子(むらじようこ)言う子の席。女の子やで。名字がむらじやから音読みでレンちゃんて言われてるわ」
「連…、どんな子なの?」
そこでナオは言葉を詰まらせた。最初に会った時からナオが淀みなく喋くりまくるのを見ていたみずきは、おや?と思った。
「うん、背が高くてかわいいって言うかカッコええ感じの子やで。…ただちょっと変わってる…かな?占いが得意な子やで。絵も上手いし」
ナオがそこまで喋った時、森木先生がやって来て授業が始まり、話は中断された。
(はあ、なんか学校のトイレって緊張するなあ…)
みずきが女子便所の個室から用が終わって外に出ようとした時、手洗所から数人の女の子達の声が聞こえてきた。
「なあ、あの生方さんってどう思う?」
「どうって?」
「なんかあの喋り方イキってると思わへん?」
「そうかなあ」
「なんか東京弁みたいやん。あの子ほんまに四国から来たん?」
「ほんまやなあ」
「にし君も授業中、あの子の方ばっかり見とったし」
「…うそっ?」
「男子で興味無さそうなん、山村と黒萩くらいなんとちゃう?」
「まあ、あの二人は…」
「あの子、どうせウチらの班になるやんかぁ…」
「…あんまり私、そう言うんは…」
「ええからええから」
ほとんど囁く程度の話し声だったがなまじ常人の数倍の聴覚を持っているみずきには一言一句正確に聞き取る事ができた。
要するに、
要するに自分の事をあまり好印象に思っていない子がいる訳だ。その声の主が堂脇涼子(どうわきりょうこ)こと、ドーワキと大原幸英(おおはらさちえ)ことサッチン、とか呼ばれてる子だと言う事も分かった。そして堂脇が言う「イキってる」とは生意気とかそういう類の言葉を意味するのも会話の内容で何となく分かった。
にし君と言うのはみずきとは反対の廊下側に座っている西村清と言う男子の事だろう。大原さんはその男の子が好きなのか?
人間関係の軋轢と言うものに免疫が無かったみずきはその話の意味を理解した所で、暗澹たる気分になって落ち込んだ。
(やっぱり、私の話し方、ヘンなのかな…)
みずきは水栓レバーを引きながらしょんぼりと俯いて自然に流れてくる涙を拭った。
終礼が終わって丈は教室で一人、スーパーヨーヨーの技の開発に余念が無かった。
相手をしていた黒萩はテレビアニメの再放送を見るために丈を置いてすでに帰っていて今は一人だった。
「どりゃあー!コークスクリュートルネード犬の散歩やー!」
技は完成したが一人で教室で叫んでいてもつまらなかった。やはりギャラリーが居ての喜びというものが必要なのだ。雨音だけが虚しく教室にこだましている。
ガラリ。
不意に戸が開いた。
「わ」
唐突に人が入って来たのでさっきの声が聞かれたかと思って丈は恥ずかしくなった。入ってきたのは何やら落ち込んだ表情のみずきだった。
「わー、びっくりした。生方か」
しかし、みずきはまるで教室に誰も居ないかのように自分の席に戻るとふうと溜息をするとカバンに教科書とノートを詰め始めた。
(なんや、無視かいなー)
女の子に無視された事でいささか気分を害した丈だったが泣いた後のような顔をしていたのでちょっと驚いた。
(なんかあったんかな?)
が、まだ何のとっかかりも無い丈としては声をかけるきっかけが無い。丈にとって重苦しい空気が教室に充ちた。
(はよ帰ってくれへんかなあ?)
丈が何となくそう思い始めた矢先、手提げカバンを持ったみずきがようやく席を離れた。ガラガラと戸を開き、ふと、みずきが振り返った。
「じゃ、先帰るね…」
無視されてるわけではなかったらしい。丈はちょっと嬉しくなって「お、おう」と、言って、ヨーヨーを半回転させる『半車輪』を放った後、みずきは続けて言った。
「…ええと、ハタ坊くん」
思わず力が抜けたヨーヨーは丈の頭を直撃した。
「いてっ!」
「だいじょーぶ?」
「う、うん。まあ、だいじょーぶ」
「そう」
みずきは戸を閉めた。
丈も、もう帰ろうと思い立ち、ロッカーにヨーヨー放り投げてから廊下側の窓を見ると擦りガラス越しにみずきの佇む影が見えた。
(ま、まさか待っててくれてんのかなあ?)
と、淡い期待を持ち始めた頃、何か軽く叩きつける音がした後、一目散に駆けて行く足音が遠ざかって行った。
(なんやいったい?)
丈が教室を出て廊下のポリ容器のゴミ箱を見ると、そこには無残にも破り折られている薄いピンク色の傘が投げ込まれていた。おそらくみずきの傘なのだろう。
(うわー、陰湿ー)
丈は同情を込めてみずきが走り去った昇降口の彼方を見やった。
「あの…」
幹人は呼び止められて振り返った。
「はい?」
赤い傘の下からは見覚えのある顔が覗いた。腰までポニテールの黒髪を垂らして黒いブラウスに白いミニスカートという服装で幹人を見据えている。
連義史の妹だ。
確か名前は陽子という。
脚フェチの嗜好がある幹人は思わず陽子のスラリと伸びる軽い曲線がかかったふくらはぎに目が行く。幾許かの罪悪感。
陽子は小学生の癖に妙に艶っぽい雰囲気を漂わせている
「ああ、連んとこの…」
今は下校中なのかと幹人は思ったがそれにしては学校の標準服を着ていない。
と、言うことは既に家に一回帰って着替えたのか。連の家はゆりの木台と言う、もう少し山沿いの町にあるのでここからは少し遠い。幹人の予想より、学校が早く終わったか、この子が学校をエスケープしたのかのどっちかだ。たぶん後者だろう。普段の連の話から幹人はそう推理した。
「これを…」
陽子が紙切れを幹人に手渡した。
厚手の和紙で表に墨文字の縦書きで何かが書いてあった。
『夜深忽夢少年事 間ノ者、運命ハ恣意(シ)』
「何これ?」
幹人が顔を上げると陽子は居らず、そこには誰も居なかった。
(以下次回)
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