第十八回「HATABOU_DA_JOU〜」

 

 

「あたし最初、生方って『いくかた』って読むかと思たわ」
「ウチは『なまかた』って読んでもうた」
「そら、あんたがアホなだけや」
 昼休みの時間。校庭はまた、にわか雨が降り出して来たのでクラスの皆は教室にたむろしていて、みずきの席の周りには物珍しげなクラスの子達が集まり、みずきは質問攻めにあっていた。みずきと言えば時折、愛想笑いをしながらと、しばし緊張しっぱなしの状態だった。
 その中に敢えて加わらず山村丈はなんともなしに教室内の風景を眺めていた。
噂を聞きつけて他所のクラスからも「かわいい顔をした転校生の女の子」(既に他のクラスの男子達にはそう言う表現が流布していた)を偵察に来ていた。
 丈はそれから自分の足元の木の床板を見た。そして踏んでみる。とたんギィと音がする。釘がとれているのかそこだけ鴬張りよろしく音がするのだ。しかしあの転校生はまったくの無音でその上を通りすぎたのだ。
(絶対おかしいよなあ。音せえへん筈無いのに)
 丈は自分の足元と皆に取り囲まれている巷で(この学校の五年生だけだが)話題の『美少女転校生』とを見比べて見た。
 丈は上に五歳離れた兄と両親との四人家族で算数と理科と体育の得意な男子児童だ。クラスでは決して目立たないと言う訳でも無いが平均的に見て口数が多い方では無いので担任の森木先生から見ると「割と手のかからない賢い子」と言う評価をされている。このクラスでは生徒同士、本名で呼ぶ事がほとんど無く、お互いをあだ名で呼ぶ事が半ば暗黙の内に義務づけられている雰囲気があり、丈も例外無く読みが「じょう」なので「ハタ坊」と呼ばれている。
 が、丈はその命名が嫌だった。「ハタ坊だじょー」と言う赤塚不二夫のマンガのキャラの口癖との関連性と言うただそれだけではないか。四年からクラス替えでこの組になって12分でこの名が確定した。その後しばらく授業で当てられると必ず誰かが「ハタ坊だじょー」と口にした。しかし心で嫌でも世渡りは上手な方なのですぐさま「いくじょー」と返して笑いをとったりしたので「無口だが実はおもろい奴」と言う評を男子からも女子からもとった。こう言う事を後で兄に「迎合する」と教えてもらった。
 丈は何気に最初に口にして、命名のきっかけとなった住友と言う五年生にしては体がデカい男をいつか殴ろうと思っていた。だが、おそらく言った本人は自分が命名した事自体忘れているのだろう。無意識下の悪意とはいつもそのようなものなのだ。

えー。すみません。
 

さて、あの子はどんな怪態(けったい)なあだ名を貰うのだろう?
「なあなあ、あの子、山手の方のあの漢方薬局の子ーやねんて」
 隣の席の湊貴代(みなときよ)、ギヨと呼ばれる女の子が丈に声をかけてきた。学校の近くの市営住宅に住んでいる女の子だ。丈的な容姿の評価は並の上。喋り方が妙にオバちゃんっぽいのが玉にきずか。
「ふうん」
 丈は特に興味のないふりをした。ハッキリ言ってとても興味があるのだが素直に反応するとあの転校生に負けたようなそんな何とも形容しがたい妙な気持ちになったからだ。しかしながら貴代(ギヨ)は見透かしたように。
「あンた何カッコつけてんのん。ホンマはめっちゃ興味あるんとちゃうん?」
 と言ってキャハハと笑いながらスチール製の椅子の足を数回蹴ってきた。
 丈はいつもながら下品な女やなあと思った。
「なんでやねん」
「どしたん?どしたん?」
 ギヨの笑い声につられてどこからともなくギヨのそのまた隣の席の女の子、井上歌王里(いのうえかおり)が会話に入ってきた。名前に王の漢字が使われていると言う理由でキングと呼ばれている。
「あんなあんな、ハタ坊がほら、あの子。…に一目惚れらしいーで」
「うそー?」
 実のところ最近、「誰々が誰々を好き」と言う話題が女子の中で流行っていた。
当人が必死になって、又は照れて反論する所を囃したてて楽しむと言う善良な悪意ある遊びなのだがとうとう丈の番が回ってきたようだ。しかも相手は見ず知らずの数時間前に転校してきたたばかりのまだ話してもいない女の子だ。
「……」
 丈は何か言おうとしたが、何かしろ反論する事は目前の一種サディスティックな表情をした女の子達喜ばすだけではないか?と言う気がした。
 丈は瞬時に予想されるパターンを頭の中で組んでみた。
 要するに反論する事で即、「ハタ坊は転校生、生方みずきが好き」と言うネタが断定され、噂がインフルエンザウイルスに感染するようにクラス中に広まり、果ては上の階の六年生にまで…。
 イヤやなあ。どうすれば。いったい俺はどうすればあ。
 ふと目を振ると黒萩と言う比較的仲が良い男が独りであやとりをして遊んでいた。黒萩の「芸」はギャグとしてわざとらしくキザなセリフを言うことだった。「俺に惚れるとケガするぜ」とかそんな類だ。
…マネしよう。
 名案だと思った。目の前にはニヤニヤしている女の子が二人いる。クラスの女子の中でも主導権を握る存在だ。慎重に行動しなければ平安なジュニアスクールライフを満喫できないではないか。この程度の謀(はかりごと)で乱されてたまるか。
 丈は立ち上がると両手でギヨとキングのそれぞれの肩を掴むと囁くように言った。
「残念ながら僕の恋はずっと以前から始まっているのサ。そう。君達が気づかない内にネ」
 よし、ギャグとして完成した。
 そう思った。
「な、何?」
 ギヨがギョッとして目をしばたいた。しかしキングだけは動ぜず無表情で返してきた。
「そうなん。それって誰なん?」
 丈もそこまでは考えていなかった。素で返されても困るのだが。
(な、なんて言おう?)
 そこでとりあえず頭に浮かんだ事を言う事にした。
「気づかないのかい?」
 そう言って実は何にも考えていなかったが丈はニヤリと笑い、逃げるつもりで悠然とした振りであやとりをしている黒萩の席の方まで逃げた。
 その時は何とか躱せたと思った。

「生方さんってきょうだい、おんの?」
「え、えっと、妹と………おにーさん…がいるよ…」
「妹、何歳?」
「よ、四歳」
「お兄さんは」
「ちゅ、中学…二年…だったかな?」
「お兄さんの制服、紺色?それか黒?」
「…?く、黒だったけど」
「そ、そんならお兄さん四学の生徒なんやー」
「かしこいんやぁ」
「ええなぁ」
「ウチの兄ちゃんアホばっかしやしぃ」
 みずきの周りの女の子がわーっとざわめく。
「…よんがくって何?」
「四田学園の事。ほら、商店街抜けたとこの駅寄りンとこの学校。生方さんの家から割と近いワ。ウチらんとこの小学校からも年に二、三人しか入られへんとこやねんで」
「そ、そーなんだ(し、知らなかった)」
「あ。そか。生方さんってお母さんが再婚して来たから知らんねんや」
「あ、ほんなら生方さんとそのお兄さんって血ぃ繋がってへんねんや」
「まあ、そーだけど」
「『禁断の断章』!」
 誰かが話題のテレビドラマのタイトルを口にした。そのタイトルはみずきも知っていた。確か裕福な家に不幸にして家族を失った主人公の少女が引きとられる話だ。
…先週の回はその家の偏執的な性格の義兄と家に二人きりになって主人公の少女がその義兄に襲われる話だったような。みずきはそこまで思い出してハッとなった。
思わず猫耳が立ち上がりかけて慌てて押える程だった。
「生方さん」
 大膳直美(だいぜんなおみ)、ナオちゃんと呼ばれる女の子の一人が半分笑み、半分真顔で囁いてきた。だが、みずきにはその顔は全部真顔に見えた。
「な、何っ?」
「ヤバいんちゃう?」
「な、何がっ?」
「何がって。そのお兄さんハンサム?」
 みずきは力のかぎり首を横に振った!
 すると他の二、三人の女の子が楽しそうに(しかしみずきにはそれが驚愕の声色に聞こえた)
「一緒や!」
「一緒や!」
「『禁断の断章』とおんなじや」
と、坊さんがお経を唱和するように言った。
「じゃ、あんーまりモてへんねや」
「…だと思う…」
「じゃ、生方さん、お兄さんにエッチな本見せられた?」
「そ、そういえば…」
 みずきもそのドラマは奥間の里で繁が買ってくれたTVで毎週見ていたので隅々まで知っている。何となく、何となく無くともそのドラマの状況と自分の状況とが段々酷似しているような気がしてくるようになっていた。
「『禁断の序章』のお兄さんって最初は優しく接して来てたやんか、主人公のええと、由里に。ええとそれから…」
 そこに黒萩の席に向かう途中の丈がみずきの傍らを通過しようとした。
「おい、ハタ坊。あんた『禁断の断章』見てる?」
「誰がハタ坊やねん!」
 女子に、それも大口で笑う事で有名なナオに「おい」呼ばわりされた事にさすがに腹がたったので丈は思わず声を荒げた。
「おお、こわ。なあ、あのドラマの由里の義理の兄ちゃんっていつから本性現すんやったっけ?」
「第三話からや。由里の幼馴染みからの手紙が破かれてた所からや」
「あんた。よう覚えてんなあ。記憶力あるやん。四学入れんちゃう?」
「別に…」
 丈がふと目を硬直しているみずきに落とした。少しほつれた髪の毛が白い額にかかっていた。
(げっ)
 丈は心の中で絶句した。
(この娘、めっ<溜>ちゃ可愛いやんけー!)
 丈は近眼だった。ただし、そんなにひどくないので時々家にメガネを忘れて来る事があった。今日はその時々にあたる日だった。つまり今、初めてみずきを至近距離からハッキリと見たのだ。
 しかしそんな事は露知らず、みずきは新たに判明した衝撃の『陰惨な可能性』に顔面蒼白になっていた。

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