第十三回「MEIDOU」

「ねー、なんでこっちだってわかるの?」
「なんとなくやけど」
「なにそれー?」
 みずきは幹人がやけに自信を持って走って行ったので何かあるのだと期待したがその曖昧な言葉に失望の色を見せ始めた時、幹人が急に立ち止まったのでその背中にぶつかった。「いったー。何よ急に止まらないでよ」
 みずきが抗議すると当の幹人は高い塀の上を見上げていた。
(この中?)
 幹人とみずきは屋敷の大きな門構えの玄関付近に着いた。
「ねー、ここって誰の家なの?」
「知らん」
「ずっと住んでて知らないの?」
「ずっと住んでても知らん事もあるわな。だいたい、ここ表札も無いやんか。
それに最近まで時々しか人おらんかったからなあ」
「…。あの、早く呼び鈴押さないの?」
「なんかなあ押しにくいなあ。まあ、女の子来てませんか?って聞くだけやからなあ」
「何ぶつぶつ言ってんのよ。早く押してよ」
「うるさいな。今押すって」
 幹人は意を決して呼び鈴を押すと、程無くしてインターホン越しに野太い男の声がした。
「御用でしょうか?」
「あ、あのー僕、生方と言いますけど、こちらに小さな女の子、来てませんか?」
「…。少々お待ちください」
 インターホンの音がブツッと切れて鉄の鋲が打ちつけられている木製の分厚い自動扉がゆっくりと開いた。
「あ、自動ドア」
「ほんとにいるのかな…。あ、…ほんとだ!」
「何がほんとなん?」
「ほんとにここにいるよ!だってちほら、ちひろの匂いがするよ」
 しかしながら幹人の人並みの嗅覚ではもちろんそんな匂いなど判らない。
「まあ扉開けてくれたんやから入れっちゅう事やねんやろ。入ってみよか。それにしてもここ入るん初めてやなぁ。うわー、屋敷の玄関まであんなに距離あるわ。やっぱり金持ちの家はちゃうなあ」
 幹人が敷居をまたぎ、続いてみずきが中に入ろうとした途端、幹人の目に一瞬だがみずきの髪の毛が総毛立つように見えた。
「あたし、ここ入りたくない」
「なんで?ちひろちゃんここにおるんやろ?おまえさっき、そう言うたやん」
「何でも入りたくない…」

 一方、ちひろは道家家の庭の丸テーブルの上に出されたお菓子を頬張りながらご満悦だった。今までに食べたことも見たことも嗅いだこともないこの未知のお菓子、ケーキにジュースや神戸風月堂のゴーフル、モロゾフのプリンなどをニコニコしながら食べていた。
おいしい?ちひろちゃん」
「…モグモグ…おいちい」
 裕子が尋ねるとちひろは口の周りを生クリームやらチョコレートでベトベトにしながらうっとりと弛緩した笑顔で微笑んだ。裕子が口を拭いてやると、ちひろは最初いやいやをしたが拭き終わるとまた猛烈な勢いで食い始めた。
 裕子の傍らには祖父の綾二郎が立っていた。
「おじいさま、おじいさま」
 裕子はややすがるような面持ちで祖父を見上げた。
「まさかまだ奥間の者が本当にいたとは。間の者は我々だけでは無かったのか」
 綾二郎の驚きの言葉を聞きながら裕子はちひろにいくつか質問をしてみようと

思った。何しろ先祖代々に伝わっている伝説の一族の子が目の前にいるのだ。
「ちひろちゃん。お父さんとお母さんは?家族はいるの?お家はここから近い
の?」
 ちひろはしばらく食うことに熱中していたので裕子が何を言っているのか理解するのに十数秒の時間を要した。
「ちーちゃん、ひっこしてきたの。ちーちゃんとこね、おとーしゃんとおかーしゃんとおねーちゃんが………………、えーと、えーと、えーと、あとおにーちゃんがいるよ。そんでねー、お家はカンポなの」
 ちひろは漢方薬局と言おうとしたが裕子と綾二郎は判らなかった。
「おじいさま、カンポって何でしょう?」
「簡易保険の事やないか?」
「…郵便局?」
「何やようわからんけどこれはえらい事やな」
「…そう、沙居(さい)さん!おじいさま沙居さんは今はどこに?」
「そうか沙居か。家で最後に奥間の者を見たのは沙居しかおらんからな。今夜来る事になってるけどな」
 二人は道家家に「長年」仕えている女中頭の名を上げた。
「旦那様」
 その時、道家家のやはり径間の者である執事の朝霧がやってきた。
「玄関先にご訪問の方がおいでです」

「うわー、見て見いや、虎の剥製やでこれ。スズメバチの巣も飾ってんな」
「う、うん…そーだね」
 屋敷の豪奢な玄関先には他に巨大な仁王の木像に巨大な柱時計、江戸中期の狩野派の屏風に阪神タイガースのペナント、薬局の店頭に置いてあるケロヨンの置物、サトウ製薬の象さんのFRPの置物、カーネルサンダースの立像に昔のパナカラーテレビのオオサイチョウの吊り広告看板、錆び付いたボンカレーとオロナミンCのブリキ看板にムツゴロウさんの全身ポスターと、その直筆サイン色紙が所狭しと飾られていた。
「ここの家の奴らどんな趣味やねん」
 幹人が呆気にとられていると目の前の柱時計が周囲の空気を鳴動させながらゴォーーンと一回だけ鳴った。時刻は四時半を指していた。
「わぁー、びっくりした。なんちゅうデカい音すんねんこの時計」
「うん。…そーだね」
 みずきは不安そうな面もちで所在なさげに落ち着かない様子でちらちらと辺りを見ていた。