第十一回「SAKURETSU」
学校から家に帰る途中の猫屋敷の隣の中華料理店で幹人は連と一緒にラーメンを食っていた。
「噂やけどな生方、ほら、ここの隣の屋敷にめっ(強調)ちゃ、かわいい娘が住んでるらしいで。世俗的に言うところの深窓のお嬢様ってやつ。俺のツレ(女)のお姉はんがそこの家庭教師のバイトやってんねんて」 「へえ。めっ(強調)ちゃ、かわいいってどんくらいなん?」 「そら、もうビビるくらいらしいわ」 「何歳くらいなん?」 「さあ?小六か中一くらいか。そこらへんのチャイドルなんか相手にならんくらいらしいで」 「ふーん、ええなあ。一回見てみたいなあ」 「・・・なあ、これ食ったら覗きに行かへんか?」 二人は目線で頷くと380円の醤油ラーメンを食う速力を上げた。 ちひろは泣き止むと両手をついてさめざめと泣いている裕子を見た。 「おねえちゃん、ねこさんたちが何で鳴いてるの?って聞いてるよ」 「え、わたしが恐くないの?と言うか猫の話がわかるの?」 「ねこさんたちの話わかるよ。こわいひとじゃないって。それにどーして、おねえさんいぬなの?」 そう言うちひろの頭にはさっき興奮したせい猫耳が立ち上がっていた。 「あ」 ちひろは慌てて耳を押さえつけようと手で撫でた。 「かわいい髪飾りね」 と言ってからちひろが押さえつけたものが髪飾りでない事に気づいた。 (これって・・・私と同じ・・・?) 「あなたお名前は?お歳は何歳なの?」 「うぶかたちひろ!としはねー、こんだけっ」 ちひろは右手の親指を倒して4本の指を突き出した。 「まあ、ちひろちゃん、よっつなの。私は道家裕子。12歳よ。あなたも・・・径間の者なの?」 「けいま?わかんない。ちーちゃんはおーま(奥間)だよ」 「おうま・・・?それっておじいさまに聞いた話に出て来る・・・猫の一族・・・・?」 ハッと気づいた裕子は「がちょ〜ん」と心の中で絶叫した。 「おじいさま!たいへん!」 ラーメン屋を出た直後、幹人と連は嫌な奴に出会ったと思った。 「へっ、おまえら、えらい久しぶりやないケ?」 シンナーの吸いすぎで既に歯がボロボロになった顔で米谷と言う名のここから少し離れた市立中学の男子生徒がえへらと笑った。 ああ、これが真の純粋なる不良と言う者だ。幹人はげんなりした。米谷は小学校の頃からやっていない犯罪は殺人と誘拐くらいという凶暴な人物で過去、小学校の校長と担任の頭ををコンクリートブロックで強打して病院送りにして鑑別所に入れられたと言ういかにもな実績を持ち、現在は覚醒剤のブローカーで得た金と彼女を売春させ、その上前をはねた金とを遊興費に使っているという話だ。家庭環境が不幸だったらしいがそんな事は現状の幹人達には関係無い事だと思った。 しかし米谷はまるで旧友にでも会ったようにニコヤカに笑うと親しげに話しかけてきた。 「二人とも、小学校の卒業式以来やのぉ、生方は別として連まで私学に入れたっちゅうのはワシもビビったワ。ワシも勉強しとったら入れとったかのぉ?」 (無理に決まってるやん) 幹人と連は二人して同じ言葉が頭に浮かび上がった。が、連は愛想笑いをして、 「そうっすね、私学も他の連中が言うほど大した事ないッスよ」 とへりくだって言った。 「そーか、そーか。ま、おまえら適当に勉強して立派になってくれよ。ところでな、おまえら今、金いくら持ってんねん?」 「え?」 「悪いけど今ちょっと金穴やねん。ごめんやけど金貸してくれへんか?」 早い話が恐喝(カツアゲ)だ。貸した金が二度と戻って来ない事くらいは幹人達が卒業した小学校の卒業生なら全員が知っている事だ。 「俺ら、今金持ってないですし」 連が言うと米谷の笑顔がまるでシャッターを勢い良く閉めた様に真顔に変わった。 「嘘やろ?」 米谷の目が座り、思いついたように傍らの幹人の鳩尾にいきなりローキックを入れた。 「ごほ」 的確に、しかも可能な限り痛覚を刺激するような蹴りに幹人は前のめりになって膝を突き咳き込んだ。 「カマシ入れとんのは判っとんじゃ!オォーっ!出すもんははよ出せっちゅうんじゃーー!」 米谷は今度は連の胸ぐらを掴み、猫屋敷の塀に叩きつけた。 昨日と言い今日と言い、何と不幸な日だと幹人は思わずにはいられなかった。 おそらくこのコースでいくと半死半生までボコボコに殴り蹴られて今月分の小遣いをまるごと巻き上げられる可能性が大だった。幹人の混濁した意識が絶望に染まろうとした正にその時だった! 「あーっ、いたいたー。ちひろが大変なんだよー!」 はあはあと息を切らした女の子の声がした。幹人は地に突っ伏しながらその子がバンダナで耳を倒していたので最初誰かと思ったがよく見るとみずきだった。 マズイ時に。幹人は自分とみずきの運命を呪った。 「何してんのー?」 すたすたと転がっている幹人と脳震盪で気絶寸前の連の元に歩いて来たみずきを米谷は「なんじゃこのガキは?」と訝しげに見た。みずきは腹を押えて倒れている幹人を見てから無表情で米谷を見上げた。 「・・・こいつ、悪人だね」 みずきはスカートのポケットに両手を突っ込みながら片足で米谷の足を引っ掛け、最少の動きで身体の軸を半円にずらすと米谷は音も立てずに転倒した。 「何すんじゃこのガキ!」 起き上がろうとする米谷の顎をみずきは右の爪先で蹴り上げると自身も跳躍し、米谷が地面に落下した瞬間を狙って後頭部に垂直キックを入れた。見るからに痛そうだった。そしてその動作は凄まじいまでの速さであった。 「くそ!」 やっと立ち上がった米谷の背後に瞬速で回り込んだみずきは昨晩、幹人が躱した回し延随蹴りを放っていた。みしりと言う何だかイヤな音を立てると米谷は後頭部を両手で押えながら地面に転げ回った。相変わらず両手をポケットに突っ込んだままのみずきは激痛で悶絶する米谷を見下すと今度は渾身の蹴りを腹部に放った。 ごすと言う音の後、米谷は寝転がりながら腹部を押えて大量の吐瀉物を嘔吐した。驚愕しながらその光景を見守っていた幹人と連に振り向いたみずきは何事も無かった様に歩こうとした瞬間、米谷はみずきの足に手を伸ばそうとした。 しかしみずきは後ろには振り向かずに右踵後ろ蹴りを米谷の顔面に炸裂させた。 ぺしっと言う音とともに米谷は1m程吹き飛ぶと、鼻柱が折れたのか鼻血を流しながら 「ぐガガガガ」 と言う呻き声を立て動かなくなった。かつて(過去形)半径十数Km一帯の男子中学生の恐怖の対象だった札付きの男を小学生の女の子が僅か数分でしかも手を使わず足技だけで倒してしまった後に伝説となる瞬間であった。 ようやく起き上がった幹人の傍らにいた連は塀にもたれかかりながら片手で前髪を掻き上げると笑みを浮かべて傾きかけた太陽に向かって呟いた。 「フッ、口程にも無い奴だったナ・・・」 |