第四回「SHUNKAN」

 

 夕食後風呂に入ると幹人はベッドに突っ伏していた。何だか疲れたからだ。読みかけのマンガ、友達に借りたCD、やりかけの宿題。雑然と電気が消えた幹人の部屋の中は廃墟さながらの雰囲気だった。時折、近くの県道を通る自動車のヘッドライトの光点がカーテンの表面を揺らめかせ、通過音のドップラー効果が室内をさざめかせる。
 何なんだありゃ?人間の人工改良品種?猫娘に猫おばさんが俺の新しい家族?ウチの先祖がやってた闇の稼業。つい学校から帰った瞬間までまったくと言っていい程何も無い日常だったのに。と、幹人はげんなりとする。

 こんこん

 ドアにノック。
 程無くして「あ、あの、もう寝ちゃった・・・かな?」と、ドアの向こうからみずきの声がした。
「いや、起きてるけど」
 しばらくしてきい、と遠慮がちにドアが開いた。
「わ、まっくら。やっぱり寝てた?」
「いや、電気を消してただけ」
 幹人は照明のスイッチのひもに手を伸ばそうとした。しかし暗くてどこにあるか掴めず右手は空を切った。
「スイッチここだよ」
 みずきは暗闇でもぶつからずにすたすたと中に入って来て、いとも簡単にスイッチのひもを引っ張った。
 ちかちかと青白い点灯管が点滅した後、サークラインの蛍光灯の明りがついた。
 明りがついて改めてキョロキョロと部屋を見回したみずきは
「わー、本がいっぱいだね」
 と本棚を見て感嘆の声を上げた。ホントは半分以上はマンガなのだが。
「あの、あの・・・座ってもいい?」
「うん、まあ」
 みずきは促されて座布団の上にちょこんと座った。Tシャツにベージュのキュロットスカート姿のみずきは風呂上がりなのか髪が若干湿っていた。猫耳も夕方とは違って少し垂れ下がっていた。
「で、何か用事なん?」
「・・・あの、さっきはその・・・・・ごめんなさい・・・って言おうと思って・・・その」
「それはもうええけど」
 幹人はベッドに座ると俯きかげんのみずきを見た。
「・・・あの、私の事喋ってもいいかな?これから一緒に住む訳だし・・・」
「う、うん」
「あの、えっとじゃ話すね。・・・あたしの最初のって言うかほんとのお父さんはあたしが生まれてすぐに病気で死んじゃったの。それであたしが5歳の時に今のおとーさんが奥間の里にやって来て、それで色々あって再婚して妹のちひろが生まれたの。
その時はまだおばあちゃんが生きてたんだけど、おばあちゃんも死んじゃって、普通の老衰だっておとーさんは言ってたけど、それでおとーさんがさっきも言ってたけど・・・」
 自分の父親を今日会ったばかりの女の子に「おとーさん」と呼ばれる事に今だ若干の抵抗があったが幹人はとりあえずみずきの話の続きを聞くことにした。
「さっきも言ってたけど、ダム作るからって事になってあたしん家が湖の底になる
事になっちゃたから引っ越す事になったの」
 だいたいはさっき聞いた事と同じだ。
「そのおまえ、学校は行ってたんか?」
「うん、分校にちょっとの間だけだけど通ってたよ。同じ歳の子はいなかったけど。だから明後日からここの小学校通えるのが楽しみなんだ。あ、これでもお母さんに勉強習ってたから漢字の書き取りとか計算は得意なんだよ」
「ふうん」
「俺はそのなんて呼んだらええんかな?」
「え?あたしの事?・・・別にみずきでいいよ。ちひろの場合はちーちゃんって呼んでもらいたいみたいだけど」
「その、みずきはちひろちゃんの事はちーちゃんて呼んでんの?」
「あたし?あたしはお姉さんだからちゃんと名前で呼ぶもん」
「そうですか・・・」
「ね、あたしの事話たんだから今度はそっちの番だよ」
「俺の事・・・?」
「うん」
 はてさして話す事もあるような無いような。
「俺は、そやな。両親が俺が小さい頃離婚してずっと父親と二人やったな。叔母さんが近所に住んでるけど最近は会ってないし、母親とは二、三年前に会うたきりやな。そや父親違いの妹がおるわ。その二、三年前に母親に会うた時。ほとんど喋らんかったけど」
「ふうん、あんた・・・じゃなかったお兄さんか。・・・お互い肉親関係が薄いのねえ」
 みずきは一人うんうんと納得した用に頷いた。
「それで今までおかーさんとおとーさんが再婚してた事知らなかったんでしょ?」「そやな。しかしおまえもよう、親の再婚納得したな」
「それはねえ・・・、あたしもあの頃は色々反発したんだけど」
 みずきは少し気取った顔でため息をついた。幹人にはその時あったであろう光景が容易に想像ができた。父親も苦労したみたいだな。
「でもま、みずきも生まれちゃったし、何て言うかな、あれでお互い愛し合っちゃってる訳なんだし、しょーがいないじゃない。でまあ、今じゃあたし、おとーさんの事も大好きだよ。何て言うか・・・お互いくろーするわよねえ」
 みずきはとても小学生らしくないしかめっつらの表情で腕組みした。
「・・・・」
「なに?どーしたの?」
「・・・・いや、おまえ面白い奴やなーと思て」
「何それ?どーいう意味よ?それとあたしは『おまえ』じゃなくてみずきって言うんだからちゃんとそう呼んでよねっ!」
「わかった。それではチミの事はこれからみずきないしミーちゃんと呼んで上げよう。猫みたいなんだし」
「・・・・ミーちゃんはヤダ」
「それと俺のことは・・・」
「うん」
 幹人はさっそく大仰に両手を天井にかざして絶叫した。
やっぱ、のーこめんと
「【みきひとおにいさま〜☆】と、呼べい!」
「ぜったいにヤダ」
 無表情で即答したみずきに対し、振り上げた両手を下ろす事もできずに幹人はその場で固まった。締め切った筈の部屋の中、二人の間にとてもさむい風が吹き抜けた瞬間だった。